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福岡地方裁判所小倉支部 昭和56年(ワ)529号 判決

原告

林義光

被告

有川洋一

ほか一名

主文

一  被告有川洋一は、原告に対し、金一一六万六、五九八円及びこれに対する昭和五五年八月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告有川洋一に対するその余の請求を棄却する。

三  原告の被告三井建設株式会社に対する請求を棄却する。

四  訴訟費用中、原告と被告有川洋一との間に生じた費用はこれを五分し、その四を原告の、その一を被告有川洋一の、それぞれ負担とし、原告と被告三井建設株式会社との間に生じた費用は原告の負担とする。

五  この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告らは、原告に対し、各自、金五三〇万三、〇一八円及びこれに対する昭和五五年八月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  交通事故の発生

1 日時 昭和五五年八月八日午後九時四〇分ころ

2 場所 北九州市小倉北区江南町四番一六号先路上

3 加害車(甲) 普通貨物自動車(福岡八八さ四六五三)

右運転者 被告有川洋一

4 被害車(乙) 普通乗用自動車(北九州五五い八二九)

5 態様 赤色の停止信号を無視して交差点に進入した甲車が、青色の信号に従つて右交差点に進入した原告運転の乙車に衝突した。

6 傷害 原告は、左第四、六ないし九助骨骨折等の傷害を負つた。

7 治療期間 別紙治療期間明細表のとおり

8 後遺症 両眼調節衰弱、聴力低下、頸部及び腰部の各疼痛の後遺症状がある。この後遺症は、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)施行令別表等級第一二級一号及び一二号に該当する。

二  責任原因

1 被告有川

自己のために甲車を運行の用に供していたから、自賠法三条に基づき原告が本件事故によつて蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

2 被告三井建設株式会社(以下「被告会社」という)

(一) 被告会社は、ニツケン九州株式会社から甲車をいわゆるリースしてその使用権限を取得し、本件事故発生当時、被告会社が請負つた三井鉱山株式会社(以下「三井鉱山」という)発注にかかる三井鉱山田川セメント工業所の石炭乾燥粉砕機械室四階建新築工事(以下「本件工事」という)の工事現場(以下「本件工事現場」という)において甲車を使用していたものであるから、自賠法三条に基づき原告が本件事故によつて蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

(二) 仮に被告会社に前記(一)の自賠法三条に基づく責任がないとしても、次の(1)及び(2)の事実からして、被告会社は、被告有川の使用者として、民法七一五条に基づき原告が本件事故によつて蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

(1) 被告有川は、被告会社から本件工事の一部を下請していた有限会社平野組(以下「平野組」という)に雇用されて本件工事に従事していた者であつて、平野組の指揮監督下にあつたことはもとより、元請の被告会社の一般的指揮監督に従つていた者である。

(2) 被告会社は、甲車を本件工事現場において被告会社の従業員や下請業者の従業員らに日常的に運転、使用させていたから、本件事故発生当夜、下請業者の平野組に雇用されていた被告有川が甲車を運行していた行為は、なお被告会社の事業の執行につきなされていたものというべきである。

三  損害

1 入、通院諸雑費 金八万四、〇〇〇円

(一) 原告は、別紙治療期間明細表のとおり二〇日間入院し、この間一日当り金七〇〇円、合計金一万四、〇〇〇円の諸雑費の支出をした。

(二) 原告は、右明細表のとおり実日数一四〇日間の通院をして、この間一日当り金五〇〇円、以上合計金七万円の諸雑費の支出をした。

2 休業損害 金五四九万六、一七〇円

原告は、本件事故当時、タクシー運転手として稼働し、一日当り平均金七、五二九円の賃金を得ていたが、本件事故による負傷によつて昭和五五年八月八日から二年間にわたつて休業を余儀なくされ、この間の賃金合計金五四九万六、一七〇円を得ることができなかつた。

3 後遺症による逸失利益 金一六五万円

原告は、前記後遺症により、次の(一)ないし(五)の資料に基づき計算して得られる将来の得べかりし利益として、少なくとも金一六五万円相当の損害を受けた。

(一) 症状固定時 昭和五七年六月一四日

(二) 労働能力喪失率 一四パーセント

(三) 労働能力喪失期間 五年

(四) 原告の年収 金二七一万〇、四四〇円

(五) 年五分の中間利息の控除 ホフマン方式係数四・三六四

4 慰藉料 金一三二万円

原告は、本件事故による負傷を治療するため長期にわたる治療を要し、今なお前記のような後遺症に悩まされている。これにより原告が受けた肉体的、精神的苦痛を慰藉するには、金一三二万円の支払をもつてするのが相当である。

5 損害の填補

(一) 原告は、自賠責保険金一二〇万円の支払を受けることになつたが、この内金三六万二、九六〇円については本訴請求分とは別の損害である健和総合病院における治療費の支払に充てられたので、残金八三万七、〇四〇円を前記1ないし4の合計損害額から控除する。

(二) 原告は、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という)に基づく休業補償給付金として合計金二一一万〇、一一二円を受領したので、これを前記2の休業損害から控除する。

(三) 原告は、被告有川から金三〇万円の支払を受けた。

6 まとめ

右1ないし4の損害金合計金八五五万〇、一七〇円から右5の金額合計金三二四万七、一五二円を控除して得られる金五三〇万三、〇一八円が、依然として残る原告の損害である。

四  結論

よつて、原告は、被告らに対し、各自、金五三〇万三、〇一八円及びこれに対する本件事故発生日の翌日である昭和五五年八月九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

(請求原因に対する被告らの認否)

一  被告有川

1 請求原因一項の事実中、1ないし6の各事業を認め、7及び8の事実を否認する。

2 同二項・1の事実を認める。

3 同三項の事実中、1ないし4の各事実を否認するが、5の事実を認める。

二  被告会社

1 請求原因一項の事実中、1ないし6の各事実を認めるが、7及び8の事実を否認する。

2 同二項・2・(一)の事実を全部認めるが、被告会社に自賠法三条に基づく損害賠償責任があるとの主張は争う。のちに抗弁において主張するように、被告会社が自賠法三条に基づき責任を負う理由はない。

3 同二項・2・(二)の事実について、(1)の被告有川が被告会社から本件工事の一部を下請していた平野組に雇用されてその指揮監督下にあつた者であることは認めるが、同被告が被告会社の一般的指揮監督に従つていた者であることは否認する。被告会社は、被告有川との間に直接の雇用関係のないことはもちろんのこと、その他においてもなんら利害関係をもたない。

同二項・2・(二)の(2)の事実中、被告会社が甲車を本件工事現場において使用していたことは認めるが、これの使用を認められていた者は、被告会社の従業員と本件工事の下請業者である朝日石綿工業株式会社(以下「朝日石綿工業」という)から再下請していた葛島スレートの葛島善太郎に限られていたもので右の者以外に甲車を運転、使用することを許容していたことはいつさいない。したがつて、本件事故発生当夜、被告有川が本件工事現場から離れたところで甲車を運転していたことをもつて、これが被告会社の事業の執行につきなされていたものと認める余地はない。

したがつて、被告会社が民法七一五条に基づき責任を負わねばならないようなことはまつたくない。

4 同三項の事実中、1ないし4の各事実を否認するが、5の事実を認める。

(被告らの抗弁)

一  被告有川

原告は、労災保険法に基づき休業補償給付金の他に休業特別支給金として合計金八〇万九、八四二円を受領したので、これを原告の損害額から控除すべきである。

二  被告会社

1 運行供用者の地位喪失

被告会社は、次の(一)ないし(三)の事情から明らかなとおり、本件事故発生当時、甲車の運行供用者たる地位を喪失していたから、自賠法三条に基づく責任を負ういわれはない。

(一) 被告会社は、甲車を運転して本件事故を発生せしめた被告有川との間に直接の雇用関係のないことはもとより、一般的に同被告を指揮監督する立場にもなかつた。

(二) 被告会社は、甲車を、本件工事現場において平野組の請負つた工事とはまつたく関連性のない別の作業に従事していた葛島スレートこと葛島善太郎に対し、その作業時間中に限つて専属的に貸与、使用させていた。そして、この甲車の管理、使用の要領は次のとおりであつて、被告会社に管理上の落度はなかつた。

本件工事現場は三井鉱山田川セメント工業所構内にあつて、被告会社の本件工事現場事務所も同じ構内にあつたところ、甲車は、作業時間外は現場事務所前の駐車場に駐車して、そのキイは現場事務所内の被告会社の担当者の事務机の引出しに保管されているところ、作業開始にあたつては、右担当者がキイを取り出したうえ甲車を葛島の作業現場まで運行して引渡し、その使用に任せるが、作業終了後は右担当者がまた右作業現場に赴いて甲車の返還を受け、これを右駐車場まで持ち帰りドアを閉めてからそのキイを前記引出しに保管し、現場事務所も施錠してしまうことになつており、本件事故発生当日も甲車についてこのように取扱つた。

(三) ところが被告有川は、本件事故発生当日、本件工事の作業時間終了後、無断で現場事務所の出入口の鍵を隠し場所から取り出して現場事務所に鍵を開けて侵入し妻に電話したのであるが、このとき駐車場に駐車してあつた甲車を乗り出そうと思い立つて事務机の中を探して甲車のキイを見つけ出し、甲車をいわゆる泥棒運転しているときに本件事故を発生せしめたのである。

2 損害の填補

被告有川の抗弁と同じ

(抗弁に対する認否)

一  被告有川の抗弁について

原告が労災保険法に基づき休業特別支給金として合計金八〇万九、八四二円を受領したことは認める。

しかしながら、右金員は、本件事故のような労働災害により労働者が蒙つた損害の填補を目的として支給される性質のものではないから、これを原告の本件損害から控除することはできない。

二  被告会社の抗弁について

1 抗弁1・(一)の事実中、被告会社と被告有川との間に直接の雇用関係がなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同1・(二)の事実中、本件工事現場及び現場事務所が三井鉱山田川セメント工業所構内にあること、甲車のキイが現場事務所内に保管されていたこと、以上の事実は認めるが、その余の事実は否認する。甲車の使用については本件工事関係者がこれを運転、使用しようとすればいつでも可能な状況にあつたもので、被告会社の主張するような取扱いはされておらず、いわば放任状態にあつたものである。

同1・(三)の事実を認めるが、この事実はとりも直さず被告会社の甲車に対する管理の杜撰さを物語るものである。そして、被告有川は、のちに甲車を返還するつもりであつたことは間違いないから、甲車に対する被告会社の運行支配はなお残つているものというべきである。

2 抗弁2の事実に対する認否は、被告有川の抗弁に対する認否と同じ

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

1  請求原因一項・1ないし6の各事実は当事者間に争いがない。

2  同一項・8(後遺症)について検討する。

いずれも成立に争いのない甲四号証、一四号証、一五号証、一六号証、一九号証の一、二〇号証の一、二一号証ないし二四号証ならびに原告本人尋問の結果(一、二回)によれば、次の事実を認めることができ、反対の証拠はない。

原告は、本件事故にあつては左第四、六ないし九肋骨骨折の傷害を受けたほかに頸部及び腰部に挫傷を負い、寒い季節になるとこの頸部と腰部に疼痛を感じる。また、健和総合病院退院後まもなくして耳鳴りやめまいを訴えるようになつた。そして、両耳に両側感音性難聴の症状が発症し、この症状は昭和五七年六月一四日固定した。この症状の程度は、右症状固定時におけるオージオメーター検査成績によると、六分平均にして右耳が二一・六デシベル、左耳が一五・〇デシベルの聴力損失値を示したが、四、〇〇〇ヘルツ、八、〇〇〇ヘルツにおいては聴力損失値が三五デシベル以上を示して、気導、骨導聴力の低下が見られるというものである。さらに原告は、昭和五六年三月二七日両眼霧視を訴えて診察を受けた結果、近点の延長という両眼調節衰弱の症状が認められ、改善のないまま今日に及んでいる。

右認定事実によるとき、原告は、本件事故によつて、頸部と腰部の疼痛、両側感音性難聴、両眼調節衰弱の諸症状が発現し、これら諸症状は後遺症として固定したものと認めてよい。もつとも、これら後遺障害の程度はさほど重いものとは認められない。すなわち、右認定事実に照らすとき、頸部と腰部の疼痛は寒いときに感じるものであるから、これが「局部に神経症状を残すもの」という概念の範囲内にはいるといい切れるかは若干の躊躇を覚えるし、両側感音性難聴の程度も、その六分平均値を見るとき、自賠法施行令別表等級の一四級にすぐには該当し難いというほかはなく、さらに両眼調節衰弱の程度も、原告本人尋問の結果(一、二回)に対比するとき、それが「著しい調節機能障害」がある場合に該当するとまではとうてい認め難いからである。そこで、これら後遺障害の程度に鑑みて、右各後遺症を一体として見るとき、原告には自賠法施行令別表等級の第一四級程度の後遺障害があると認めるのが相当である。しかして、この後遺障害の継続する期間は、その部位、程度からして、遅くともすべての症状が固定したと認むべき昭和五七年六月一四日からたかだか三年間とみるのが相当である。

3  同一項・7(治療期間)について検討する。

右説示の原告が本件事故によつて左第四、六ないし九肋骨骨折の傷害を受けたこと及び前記のとおりの後遺症があるという事実に、前掲甲一六号証、一九号証の一、二〇号証の一、二二号証ないし二四号証、原告本人尋問の結果(一、二回)ならびに弁論の全趣旨を合わせ考えると、次の事実を認めることができ、反対の証拠はない。

原告は、骨折治療のため別紙治療期間明細表の1及び2のとおり入通院し、両側感音性難聴治療のため同表3及び6のとおり、両眼調節衰弱治療のため同表4のとおり、頸部と腰部の疼痛治療のため同表5のとおり、それぞれ通院した。

二  被告有川の責任

請求原因二項・1の事実は原告と被告有川との間において争いがないから、この事実によるとき、被告有川は、自賠法三条に基づき原告が本件事故によつて蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

三  被告会社の責任の存否

1  請求原因二項・2・(一)の事実は原告と被告会社との間において争いがない。

2  被告会社が、本件事故発生当時、甲車の運行供用者たる地位を喪失していたとの抗弁について検討する。

右1の当事者間に争いのない事実に、いずれも成立に争いのない甲六号証、九号証、乙号各証、証人井上勲の証言ならびに被告有川本人の尋問の結果を合わせ考えると、次の事実を認めることができ、反対の証拠はない。

(一)  被告会社は、本件事故発生当時、三井鉱山発注にかかる三井鉱山田川セメント工業所構内の石炭乾燥粉砕機械室四階建新築工事(本件工事)を請負いこれを施工中であつたが、この工事には被告有川が雇用されていた平野組や朝日石綿工業等七社の下請業者が従事していた。被告会社は、本件工事現場に二階建プレハブ式の現場事務所を設置して、ここに所長以下四名の被告会社従業員を常駐させ、この者達をして本件工事の進行状況を点検、監視させていた。

(二)  甲車は、その構造が高所作業に使用することを目的にしたものであつて、いわゆるリフトラと呼ばれる空中作業用の自動車である。被告会社は、ニツケン九州株式会社から五日間の約束(返還予定日は本件事故発生日の翌日)で甲車を借受けて、これを下請の朝日石綿工業からさらに下請していた葛島スレートこと葛島善太郎に限つてその下請工事現場において専属的に使用させていたもので、これを他の下請業者が使用することはまつたくなかつた。そして、平野組の下請工事は本体工事中の本体工事の基礎工事を担当するもので、その作業現場は葛島の作業現場から二五〇メートル程離れたところにあつて、葛島の作業とはまつたく異種、異質であり、被告有川はここで土木工事に従事していた。

(三)  被告会社は甲車を次のようにして管理していた。すなわち、現場事務所副所長格の立場にあつた被告会社従業員井上勲は、甲車の直接の管理を担当していた者であるところ、作業時間外は甲車を現場事務所前の駐車場に駐車させて、甲車のキイを現場事務所の自己の事務机の引出しの中に入れていたが、朝出勤すると右引出しからキイを取り出して甲車を始動させ、右駐車場から葛島の作業現場まで運転して同人に引渡し、作業終了時には連絡によつて右作業現場に再び赴いて甲車の返還を受け、これを前記駐車場まで運転して持ち帰つたうえ、そのキイを外してドアを施錠したのち、キイを前記引出しの中に入れて保管するという段取りを踏んでいた。ところで、現場事務所の戸締りについては、現場事務所駐在の全従業員が勤務終了後そこから退出するとき、現場事務所の出入口を施錠するが、従業員の誰かが持ち帰ることをせずにその鍵を現場事務所を組成している鉄骨のアングル部分に隠し、翌日、出勤してきた者がこの鍵を隠し場所から取り出して現場事務所の出入口を開けることになつていた。

本件事故発生当日も、甲車の保管及び現場事務所の戸締りについては右のとおりことが運ばれた。

(四)  被告有川は、本件事故発生当日、その日の作業を終えて一旦本件工事現場のある三井鉱山田川セメント工業所構内から構外へ退出して平野組の宿泊所に戻つたが、飲酒するうち当時北九州市門司区の自宅に残してきた妻に電話することを思い立ち、再び右構内の既に勤務時間外で無人となつた被告会社現場事務所に取つて返し、その出入口の鍵が現場事務所を組成する鉄骨のアングルに隠されていることをたまたま知つていたことから、これをその隠し場所から取り出して出入口を解錠したうえ、内部に侵入した。そして被告有川は、現場事務所に設置されてある電話を利用して妻と通話するうち、このとき現場事務所前に駐車してあつた甲車を運転して自宅に戻ろうという気になり、そのキイを探したところ、これを事務机の引出しの中に発見して持ち出し、無免許であるにもかかわらず甲車を始動、運転して構外に乗り出し、一路北九州市門司区の自宅を目指して進行するうち、北九州市小倉北区まで戻つてきたところで本件事故を引起してしまつた。

(五)  なお三井鉱山田川セメント工業所は、その周囲をブロツク塀、有刺鉄線等で囲んだ広大な敷地を有し、この構内に立入るためにはふたつある門において三井鉱山の守衛に入門許可証を呈示することになつていたが、被告有川もこの入門許可証を所持していたうえ、同構内には本件工事関係の業者のみならずいろいろな業者が自動車を持ち込んでいるため、守衛が被告運転の甲車の構外乗り出しを制止することは実際にはできないことであつた。

以上の認定事実に基づき検討を進める。

まず(一)の認定事実によれば、被告会社は、本件工事現場に現場事務所を設置してここにその従業員を派遣、常駐させ、この者達をして本件工事全般の進捗状況を点検、監督させていたのであるから、平野組を含む下請業者らに対して、その下請工事についてあるときは直接的、具体的な指揮監督をしたであろうことは容易に推認できるところである。したがつて、被告会社は平野組を介してこれに雇用されている被告有川に間接的に指揮監督を及ぼしうる地位にあつたということができる。しかしながら、(二)の認定事実によれば、甲車は高所作業用の特殊な自動車であつて、被告会社が五日間に限つてその使用権限を取得してこれを下請業者のひとつである朝日石綿工業の下請工事現場においていわゆる孫請の葛島に限つて専属的に使用させていたもので、これを平野組を含む他の下請業者が使用することはまつたくなかつたのであるから、こと甲車の使用、運行に関していうならば、被告会社の指揮監督下にあるのは、被告会社の従業員はもちろんのこと、朝日石綿工業あるいは葛島らの従事するある特定の下請工事を通して形成される人的関係の枠内にあるとみられる者に限られるのであつて、これらとは異なる系列の人的関係にある平野組等の他の下請業者らが被告会社の指揮監督下にはいることはなかつたということができる。これをいうならば、被告会社が前記のように平野組を介してこれに雇用されている被告有川に間接的に指揮監督を及ぼしうる地位にあつたといつても、それは平野組の下請工事に関する限りのことであつて、この下請工事にはまつたく無関係の甲車の使用、運行に関してまで右のように指揮監督する立場にあつたものではないということである。したがつて、被告会社の本件事故についての責任の有無を検討するにあたつては、本件事故が右のような被告会社、朝日石綿工業、葛島という系列の人的関係の枠内にあるとみなすべき者によつて仮に引起された場合と、本件事故のように右とは異なる人的関係にある被告有川によつて引起された場合とでは、自ずと別の配慮が必要であるというべく、これらふたつの場合をまつたく同一視して被告会社の責任を判断するのは相当でないと考える。

かくして、被告会社が前記のように被告有川に間接的に指揮監督を及ぼしうる地位にあつたというだけで、同被告の引起した本件事故につき被告会社が甲車の運行供用者として責任をとらねばならないとしてしまうわけにはいかない。こと甲車の使用、運行に関する限り、被告有川は、被告会社の指揮監督の及ばない者であつたとみられるからである。それにもかかわらず被告会社が責任を負うべきかどうかは、さらに別の観点からの検討を必要とする。

右(三)及び(五)の各認定事実によれば、甲車は、本件事故発生当夜、周囲をブロツク塀、有刺鉄線等で囲まれてその出入りが守衛によつてチエツクされる三井鉱山田川セメント工業所構内にある被告会社現場事務所前の駐車場に駐車されていたが、そのドアは施錠され、キイも抜かれ、さらにそのキイは施錠された右現場事務所内の被告会社従業員の事務机の引出しの中に保管されていたのであるから、これを客観的、外形的にみるならば、被告会社が甲車を第三者に対して運転することを容認していたとみなされてもやむをえない状態に置いたものとはとうていみることができないというべきである。もつとも、右(三)の認定事実によるとき、現場事務所の出入口の鍵はこれを組成する鉄骨のアングル部分に隠されていたのであるから、現場事務所の管理、ひいては甲車のキイの保管が万全であつたとまではいえないにしても、隠し場所として必ずしも不適切とは断じ難いし、被告会社が現場事務所の鍵の隠し場所を被告会社の従業員以外の者に知らしめてその自由な使用を許容していたというような事情をうかがわせる証拠もない。してみると、現場事務所の出入口の鍵の右のような管理状況をことさらに取り上げて、甲車のキイの保管、ひいては甲車の保管に過失があつたとみるのは相当でない。

しかして、前記(四)の認定事実によれば、被告有川は、被告会社にすべて無断で、現場事務所の出入口の鍵をその隠し場所から取り出して出入口を解錠したうえ現場事務所内に侵入し、事務机の引出しの中から甲車のキイを持ち出し、甲車を始動、運転して三井鉱山田川セメント工業所構外へまつたくの私用のため乗り出して、本件事故を引起したものであつて、このことに既に説示した被告有川と被告会社の人的関係の内容、被告会社の甲車に対する保管状況、さらには甲車の日常の使用状況等を合わせ考えると、被告会社の甲車に対する支配は、被告有川が右のように甲車を乗り出したときに失われたものとみるのが相当である。そして、この判断は、たとえ被告有川がのちに甲車を被告会社に返還するつもりであつたとしてもなんら妨げられるものではないと解すべきである。

そうだとすると、本件事故発生当時、被告会社が甲車の運行供用者たる地位を喪失していたとの被告会社の抗弁は、理由があり採用すべきである。よつて、自賠法三条によつては、本件事故につき被告会社の責任を問うことができない。

3  次に被告会社に民法七一五条に基づき責任を追及しうるか検討するに、次に説示するように、被告有川を被告会社の被用者であると前提してみたところで、被告有川の甲車の運転はとうてい被告会社の業務の執行とは認め難いから、被告有川の引起した本件事故につき被告会社が民法七一五条に基づいて損害賠償責任を負うことはないというべきである。

すなわち、前記2の(二)及び(四)の各認定事実によれば、被告有川は、ひごろ甲車を使用する下請工事現場とはまつたく異なる工事現場において作業に従事していてその職種も自動車運転業務に関係なく、したがつて、甲車の使用、運行にまつたく無関係であつたこと、被告有川は、甲車を無断で勤務時間外にまつたくの私用で運転したこと、甲車そのものが高所作業用の特殊な自動車で、被告とは無関係の孫請の葛島の工事現場においてもつぱら使用されていたもので、当該工事現場を離れて使用、運行することを予定されていなかつたこと等の事情が認められるところ、これに本件事故発生のとき、場所をも合わせ考えると、被告有川の甲車の運転は、その外形からみて被告会社の業務の執行とはなんら関連性がないと認めるほかはない。

4  以上の次第で、被告会社は、いずれの観点からも本件事故につき原告に対して損害賠償責任を負うことがないというべきであるから、原告の被告会社に対する本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく失当である。

四  損害

1  入、通院諸雑費

(一)  前記一項・3に認定したとおり、原告は、本件事故による負傷を治療するため健和総合病院に二〇日間入院したから、この間一日当り金七〇〇円、合計金一万四、〇〇〇円の入院に伴う諸雑費の支出を余儀なくされたものと認めるのが相当である。

(二)  同じく前記一項・3に認定したとおり、原告は、本件事故に起因する諸症状治療のため、健和総合病院外三つの医療機関に合計一四〇日間通院したのであるが、前掲甲四号証によるとき、健和総合病院の所在地は北九州市戸畑区中原東三丁目一〇番一七号、前掲甲二二号証によるとき、植木外科医院の所在地は同市小倉北区新高田一丁目一六番一三号、前掲甲二三号証によるとき、国立小倉病院の所在地は同市小倉南区春ケ丘一〇番一号、前掲甲二四号証によるとき、小倉記念病院の所在地は同市小倉北区貴船町一番一号、であることがそれぞれ認められるところ、これら医療機関の所在地と原告の住所地とはさほどの距離にないことは公知の事実であるうえ、前記一項・2に認定した原告の諸症状を勘案するとき、原告が通院に要した費用としては通院交通費に限つてこれを損害と認むべく、この交通費は一日当りたかだか金三〇〇円を越えないと認めるのが相当である。

よつて、通院交通費合計金四万二、〇〇〇円を原告の損害とする。

2  休業損害

成立に争いのない甲一三号証及び原告本人尋問の結果(一回)によれば、原告は、本件事故当時、平尾台観光タクシー株式会社にタクシー運転手として勤務し、一カ月当り少なくとも金二二万一、〇〇〇円を下らない収入を得ていたことが認められ、反対の証拠はない。

ところで、原告本人尋問の結果(一、二回)によれば、原告は、本件事故発生時(昭和五五年八月八日午後九時四〇分ころ)から前記認定の各後遺症状が固定したときの昭和五七年六月一四日までの約二二・五カ月間まつたく稼働せず、このためこの間に得るであろう前記の収入を得ていないことが認められる。しかしながら、前記一頂・2及び3に認定した原告の負傷の部位、程度、後遺症の部位、程度、入通院期間に原告本人尋問の結果(一、二回)を総合すると、原告がタクシー運転手であることを考慮しても、原告が休業した約二二・五カ月間のうち本件事故時から三カ月に限つてはその全期間が本件事故により休業を余儀なくされたものというべきであるが、残る一九・五カ月間についてはその全期間にわたつて休業せざるをえなかつたとは必ずしも認め難く、たかだかその五割に相当する九・七五カ月間が休業を余儀なくされたものと認めるのが相当である。

以上の事実関係によれば、原告が休業によつて得ることができなかつた二二・五カ月分の収入のうち一二・七五カ月分に相当する金二八一万七、七五〇円が、本件事故により原告が得ることのできなかつた所得額である。

3  後遺症による逸失利益

前記一項・2に認定したように、原告の後遺症は、その程度が自賠法施行令別表等級の第一四級相当とみられるが、その継続期間は症状の固定した昭和五七年六月一四日から三年間である。そうすれば、原告は、右の三年間労働能力を五パーセント喪失したものと認めるのが相当であるところ、これに先に認定した原告の収入が一カ月当り金二二万一、〇〇〇円であることを合わせ考えて、右症状固定時より約二二カ月前の本件事故発生日を基準日としたうえ右継続期間の逸失利益の現価を月別ホフマン方式(係数・五一・八五一九―二一・〇〇七四=三〇・八四五五)により算出すると、金三四万〇、八三一円(円未満切捨)となる。

よつて、原告が後遺症によつて失うべき所得は、金三四万円相当と認める。

4  慰藉料

(一)  入通院に対する慰藉料

前記一項・3に認定した入通院の模様によれば、金七〇万円をもつて相当と認める。

(二)  後遺症に対する慰藉料

既に説示した後遺症の部位、程度、その継続期間等に鑑みると、たかだか金五〇万円をもつて相当と認める。

5  損害の填補

(一)  前記1ないし4の損害について、原告が請求原因三項・5の(一)ないし(三)のとおり合計金三二四万七、一五二円の限度で填補を受けたことは、当事者間に争いがない。

(二)  ところで被告有川は、抗弁としてさらに、右(一)の損害填補とは別に原告が休業特別支給金八〇万九、八四二円を受領したから、これをも右損害の填補に充てられるべきだと主張するところ、原告も右金員を受領したことは認めるものの、これを損害の填補に充てるべきではないと主張する。

労災保険休業特別支給金は、労災保険法一二条の八に規定される保険給付ではなく、同法二三条に基づき労災保険の適用事業に雇用される被災労働者の療養生活の援護、社会生活への復帰を容易にするために福祉事業の一環として給付されるもので、被災労働者の損害の填補を目的とするものではないと解するのが相当である。そうだとすると、原告が受領した右休業特別支給金八〇万九、八四二円を原告の損害額から控除することはできないというべきである。

被告有川の抗弁は失当であり採用できない。

6  以上の1ないし5の説示によれば、原告は、被告有川に対し、1ないし4の損害合計金四四一万三、七五〇円から5・(一)の合計金三二四万七、一五二円を控除して得られる金一一六万六、五九八円の損害賠償を求めることができる。

五  結論

以上のとおりであるから、原告の被告有川に対する本訴請求は、金一一六万六、五九八円及びこれに対する本件事故発生日の翌日である昭和五五年八月九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であり認容すべきであるが、その余の部分は失当として棄却すべきであり、また原告の被告会社に対する本訴請求はすべて失当として棄却を免れない。

よつて、民事訴訟法八九条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤敬夫)

別紙 治療期間明細表

〈省略〉

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